今日は朝一番に故宮に来ました。中国のニュースで目にするこの天安門をくぐります。
真ん中の橋は皇帝専用です。
なお、地下鉄1号線の天安門東で降り、地上に出るとセキュリティチェックの長い列があります。天安門西で降りるほうがいいです。こちらのセキュリティチェックの列は短いです。
通りを挟んで、天安門の向かい側(南側)は天安門広場です。国旗掲揚代、人民英雄記念碑、毛主席記念堂があります。テレビで目にする人民大会堂は写真左の方向になります。
チケット売り場には何列も人がたくさん並んでいます。たくさんの人、人、人です。
6月から、一日の入場者を8万人に制限したそうです。
(入場料 60元)
太和門です。
故宮は南から入ります。ガイドブックのおすすめコースにしたがって、南の端から一直線に北の端まで向かいます。
太和門を超えると、太和殿があります。故宮の中心的建物です。即位式などが行われます。
ラストエンペラー・溥儀もここで即位しました。3歳の溥儀は即位のときに泣き出したので、父親に、すぐに終わるよ、となだめられたそうです。そして、言葉の通り、清はすぐに滅亡しました。
中央の石段は龍の彫刻が施されています。
屋根の端には走獣という装飾が施されています。太和殿は走獣の数が一番多いそうです。
中和殿を超えると、保和殿があります。乾隆期以降はここで科挙の最終試験である殿試が行われたそうです。小説・蒼穹の昴にそんなシーンがありました。
横の方に大きな甕があります。刀で削られたような跡があります。もとは金メッキがされていて、1900年の義和団事件の際に列強国の兵士に略奪されたそうです。
日本軍は品行方正だったそうです。
保和殿の北側の真ん中の階段には一枚岩の龍の彫刻があります。最大級だそうです。
次に内廷といって、皇帝一家の居住スペースに入ります。乾清宮です。この中に大きな額があり、皇位継承者の名前を記したものを封印して、額の後ろに保存したそうです。太子密建というそうです。
交泰殿です。25個の玉璽が納められています。清朝が25代続くようにとのことです。
25というのは1,3,5,7,9の合計だそうです。1,3,5,7,9は陰陽思想で陽数というそうです。つまり、縁起がいいということらしいです。
オーディオ・ガイドの受け売りです。(オーディオ・ガイド 40元)
坤寧宮です。満州族が信仰するシャーマニズムの神を祀る場所だそうです。
そこから北に行くと、緑の多い御花園という庭園に至ります。その一角に養性斎という建物があります。溥儀がイギリス人教師ジョンストンに英語を学んだ場所だそうです。
一番北まで来ました。
ここから西側の建物を見に行きます。
西六宮といって、六個の建物があります。後宮だそうです。
西太后が住んでいた儲秀宮です。西太后は西側の建物に住んでいたので、その名があります。
翊坤宮です。
太極殿です。
養心殿です。横には書家の作を集めた三希堂があります。
ここから中央を超えて、東側に入ります。
西六宮に対して、中央の東側に六個の建物がある東六宮に行きます。
現在は東六宮は博物館用の建物として使われています。
英和宮です。青銅器が展示されていました。
承乾宮です。青銅器が展示されていました。
東六宮のさらに東側に外東路という一画があります。宝物館があります。(この区画別途入場料 10元)
一番南に九龍壁という九匹の龍が描かれている瑠璃装飾の壁があります。
向かって左(東側)から3番目の龍の一番下の腹の部分だけ木製になっています。
製作中に瑠璃片が壊れ、死刑を恐れて、木製に色をつけて、隠蔽したそうです。
北へ行くと皇極殿があります。
暢音閣です。京劇用の舞台だそうです。
暢音閣の向かいにある閲是楼です。西太后はここから暢音閣で行われる京劇を見物したそうです。
ベトナムのフエの王宮を見学した際も、閲是堂というものがありました。演劇をするところでした。王宮の配置も故宮と似ています。
当然でした、フエの王宮はこの故宮を模して、つくられたものだからです。
楽寿堂です。
中国最大級の玉の彫刻、大禹 治水図玉山があります。
ここから北へ進むと出口の神武門に向かうことになります。
神武門で写真展がありました。西太后と溥儀です。
神武門です。出口から出たところです。
出口を出ると、向かい側に景山公園があります。(入場料2元)
ここに楼閣があります。
この頂上からの眺めがいいです。
南に故宮の姿が一望できます。
その後、地下鉄の王府井駅のすぐ近くにある中国銀行に行きました。
ここで200ユーロ(約27778円)を交換しました。
1364元になりました。(約26957円)
自動両替機でした。
土曜日でしたが9時から5時まで営業していました。
(中国にいる現在、画像をアップロードはできますが、アップロードした画像をこちらでは確認できない状況です。)